2011年7月12日火曜日

誠実であるということ

汚染牛の話題です。

あるニュース番組でコメンテーターが「この種の報道をするときに我々が報道することによって混乱を招かないか?ある種の覚悟が必要なんです。でも事実を報道することが大切だ」と言っていました。

私にはおごりにしか聞こえず、腹立たしい思いがしました。この発言は「私は特別な身分の人間だからこういう情報を得ることができる」ということが前提にあるように見えるんです。「だから、判断力が弱い一般人に伝える前に私が判断しなければいけない」というような。

人をなめすぎです。

こういう考え方はいろんなところで前提にあるようで、発生していると思います。国でも会社でも。地位が高い人はこういう勘違いをする人が多いようです。ひょっとすると、これは怖いことですが周りの環境がそういう人を作っていくのか?

このブログでも何度も書いている気がするのですが、地位とか立場とか、そんなものは前提として「誠実であること」がないといけません。逆に、地位が上になればなるほど、立場が有利になればなるほど、自分が損をするぐらいに誠実でなければいけないと私は思います。

少なくとも私はそういうことを常に大事にしながら生きていきたいなと思います。

2011年7月11日月曜日

早起き

3:30に起きてしまいました。

ここ1か月ぐらい窓を開けて風通しをよくして寝ているのですが、今日は隣の部屋の方がベランダで電話していたんです。それで起こされたかたちです。

話しの詳細はわかりませんが、誤解を解くために話しをしていたのはよくわかりました。これが長い電話なんですよね。もう一度寝ようと思って頑張っていたんですが、結局眠れませんでした。

この電話、おそらく1時間近くやっていたんではないでしょうか。詳細はわからずとも隣の方の声のテンションでなんとなく話しの流れがわかります。話しがまとまりそうになると、少しテンションが上がり声が大きくなって話しをまとめはじめます。でも相手がしつこいみたいで、何度も引き戻されていました。

そんな行ったり来たりのように聞こえる電話で結局寝るに寝れなくなってしまったわけです。

窓を開けて寝るっていうのは、こういうことも起こってしまうんですね。。。

2011年7月10日日曜日

透明性

これまでも何回か透明性の話しをしている気がするのですが、具体的な事例かなと思えたので、また書かせてもらいます。

具体的事例というのは、管首相と海江田大臣のドタバタ劇です。

メディア的には「思いつきの上司に振り回される部下」みたいな話しになってますし、どちらかというと海江田大臣に同情的な感じではないかと思っています。

私個人的にはどっちもどっちですし、これ以上バカにしないで欲しいなぁと感じています。それに、組織論という観点ではある意味専門家だと思っていますので、その観点から言わせてもらえば「どんな上司であろうと、いったん上司と決まったのであればそれについていくのが部下の役割なのでは?」と思ってしまいます。しかも、彼らは幸運なことに上司を自分たちで決めることができるのです。我々と違って。

とはいいつつ、私自身は反乱分子であることが多かったのですが。。。

それはさておき、これがなぜに透明性の話しになるかというと、今回のドタバタ劇はすごく我々国民に見えやすい形で物事が進んだと思うんです。つまり、海江田大臣が「原発再開OK」。これに管首相も同意するが、数日後「ストレステストやらないと」とひっくり返すと。

これを見えるところでやってもらったので「殿ご乱心」がわかりやすかったわけです。だから海江田大臣に同情票が集まる。

想像してください。少なくとも私が経験してきた組織ではこんなに透明性は高くなかったと思います。「殿ご乱心」など通常の会社では日常茶飯事です。しかもそれまでのいきさつが見えることは無いですし、もっと言えばそれまでのいきさつは黙殺される、あるいは都合よく利用されるわけです。

今回の件でいうと、普通は、部下である海江田大臣は「時間だけかかって自分で判断できないつかえない奴」というレッテルが貼られて終わりです。でも、今回のように透明性が高いと少なくとも同情票が入るわけです。

同情票のいい悪いは別にして、結果だけではなく、いきさつ全てを含めて判断されるというのは幸せなことだと思います。

ということで、やっぱり透明性は大事ですね。当事者だけではなく、周りの人も含めて全員がある程度納得できるかたちで判断されるわけですから。

まだ他にも透明性の利点はありますが、今日はこのくらいで終わろうと思います。長くなったので。。。