2011年7月10日日曜日

透明性

これまでも何回か透明性の話しをしている気がするのですが、具体的な事例かなと思えたので、また書かせてもらいます。

具体的事例というのは、管首相と海江田大臣のドタバタ劇です。

メディア的には「思いつきの上司に振り回される部下」みたいな話しになってますし、どちらかというと海江田大臣に同情的な感じではないかと思っています。

私個人的にはどっちもどっちですし、これ以上バカにしないで欲しいなぁと感じています。それに、組織論という観点ではある意味専門家だと思っていますので、その観点から言わせてもらえば「どんな上司であろうと、いったん上司と決まったのであればそれについていくのが部下の役割なのでは?」と思ってしまいます。しかも、彼らは幸運なことに上司を自分たちで決めることができるのです。我々と違って。

とはいいつつ、私自身は反乱分子であることが多かったのですが。。。

それはさておき、これがなぜに透明性の話しになるかというと、今回のドタバタ劇はすごく我々国民に見えやすい形で物事が進んだと思うんです。つまり、海江田大臣が「原発再開OK」。これに管首相も同意するが、数日後「ストレステストやらないと」とひっくり返すと。

これを見えるところでやってもらったので「殿ご乱心」がわかりやすかったわけです。だから海江田大臣に同情票が集まる。

想像してください。少なくとも私が経験してきた組織ではこんなに透明性は高くなかったと思います。「殿ご乱心」など通常の会社では日常茶飯事です。しかもそれまでのいきさつが見えることは無いですし、もっと言えばそれまでのいきさつは黙殺される、あるいは都合よく利用されるわけです。

今回の件でいうと、普通は、部下である海江田大臣は「時間だけかかって自分で判断できないつかえない奴」というレッテルが貼られて終わりです。でも、今回のように透明性が高いと少なくとも同情票が入るわけです。

同情票のいい悪いは別にして、結果だけではなく、いきさつ全てを含めて判断されるというのは幸せなことだと思います。

ということで、やっぱり透明性は大事ですね。当事者だけではなく、周りの人も含めて全員がある程度納得できるかたちで判断されるわけですから。

まだ他にも透明性の利点はありますが、今日はこのくらいで終わろうと思います。長くなったので。。。

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