2010年7月7日水曜日

しあわせ

海外ドラマを見ていて、ふと思いました。医療関係のドラマで、これまで見たことの無いドラマだったんですが、死と向き合わなければいけないシーンがあって。

どうしようもなく混乱しているときや、困難に立ち向かおうとしているときなど。いつも考えるのですが、僕の葬式にはどんな人に来てもらって、どういう感じで見送ってもらいたいか。そして、そこから思考を広げて、「今何をすべきか」までもっていきます。

僕の処世術というか、負けないための薬なんですかね。中学か高校ぐらいのときから、このやり方で今まで頑張ってきました。この方法が良いかどうかは別にして、僕にはかなり合っている気がします。

結局、僕は目の前の目標を提示してもらえないとダメなんです。ニンジンを見せてくれないと走れない馬なんです。だからこそ、この方法で具体的に今何をすべきかを提示してやらないと走れないんです。だから僕に合ってるなと思います。

少し道を外してしまったようなので元のテーマに戻りますが、しあわせって色んなカタチがあるとは思います。で、その中で自分はどういうしあわせを望んでいるんだろうということを明確にしないと、そのしあわせにはたどり着けない気がしてます。

僕が望んでいるしあわせって何だろう?まだ僕は明確になっていないようです。真剣に考えたことが無いからかもしれません。だから、ちょっと大変だけど上に書いたようなやり方で、しあわせにフォーカスして考えてみる必要があるのかもしれません。

幸運なことに僕には時間があります。だから、少し考えてみようかなと思います。漠然としていることなので、根気のいる大変な作業ではありますが。

2 件のコメント:

  1. 相変わらず哲学的だな。お前らしいや。

    でも俺もそう思う。自分なりの「幸福」の形がはっきりわかっていたら、他人と比べたり、周りに流されたりしないで自分らしくいられる。その揺るぎ無い価値観が欲しいよね。

    自分が「幸福」じゃないのに周りの人の事も考えられないしね。

    僕らには「幸福」にしなくちゃいけない存在がいるんだから。

    あっ 俺もいいこと言ってる(笑

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  2. TOTTIは常にいいこと言ってるよ。

    ただ、たまに言動と行動が乖離する、というか、行動が先走ってしまうだけだよ。

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